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2006年11月10日

11月10日(金曜日) 帰国

・・・やばいです。空港のホテルで寝すぎて気がつくとフライト15分前です。これは本当にやばい!髪の毛もぐしゃぐしゃなまま、ズボンもはたして前後ろちゃんと穿けているのかわからぬままホテルを飛び出し、ダッシュで搭乗口へ!間一髪間に合いました~。本当に最後の最後までドタバタの旅でありました。そして無事福岡空港に到着し、お決まりですが4人で博多ラーメンを食べて解散です。4人が何だか同じ戦場を駆け抜けた同士のように感じられたのは私だけではないようで、皆一様に別れを惜しみ、また来年の図書館建設を約束し、空港を後にしました。

今回の活動の中で、復興支援に我々は向かったわけですが、逆にたくさんの事を経験させてもらい、多くを学ばせてもらった気がします。やはり、テレビや新聞で見ているのと、現地へ行って現場で学ぶのとは大きな差があります。阪神淡路大震災の時もボランティアに参加しようと考えましたが、自分自身も幼かったこともあり、直接的な参加はできませんでしたので、今回は海外でしたが復興支援に直接的に参加できて良かったと思います。しかし、自己満足で終わってはいけないのだという事を、あの小学校の子供達が教えてくれました。後日南里副会長が聞かせてくれた話なのですが、私には子供達が一様に笑顔を見せて喜んでくれていたように見えたのですが、たった1人だけ目も合わせてくれない子がいたそうです。その子の目を見た時に、決してこの子達は満足してくれていないのだ、もっともっと復興が進まなければ私たちは死んでいくかも知れないのだと語りかけてくるようだというのです。

その話を聞いたときに、あらためて私は、自己満足に陥ってはいけないい、継続してこれからももっともっと支援をしていきたいと心から思いました。たくさんの思い出と学習の機会を与えてくれた今回の復興支援活動。もしかしたら私の今後の生き方や人生を変えてしまうかもしれないほどの衝撃を受けました。これからも少しかもしれないけれども、人に喜んでもらえる活動をしていきたいと思います。その輪が広がって、やがて世界中に1人でもたくさん幸せに生活出来る人が増えるといいなぁと思います。
最後に、忘れられない旅に同行してくれた南里副会長、青年会議所の川本君、マヤちゃん、本当にありがとうございました。
おわり。



2006年11月09日

11月9日(木曜) カニエビ

せっかく中継でもバリに来たのだから、一通りバリの雰囲気を満喫しようということになり、まちの散策をかねて夕食場所を探すこととなりました。ホテルを中心に付近を散策しましたが、同じような道が多くすぐに迷子になりそうです。通りによって、地元のお土産を取り扱うところ、Tシャツやアクセサリーを扱うお店、中には、「明らかにこれはバッタでしょ~」というものも堂々と展示されており、インドネシアと言う国の懐の深さを思い知った次第です。南里副会長が何としても肉が食べたいというもので、肉が食べられそうなお店を探すも「一体何のお店だろう?」というお店の連発でなかなか探しあたりません。その中でも見た目もメニューもまともそうなお店を発見し、とりあえず店内へ。
お肉料理もあり、魚料理もありで見た目においしそうじゃないですか。注文を取りにきたこのお店の店主らしき人が少しだけですが日本語もできて色々と話しかけてきます。3人が肉料理で私だけが魚料理を注文。そしてここが運命の分かれ道でありました・・・。中身がないカニとエビ料理を食べて、とりあえずホテルに戻ると、何か体の様子がおかしな事になってきているではありませんか。お腹が痛い、いや頭も痛いし吐き気もする・・・う~ん、他の3人の様子はどうだろう?と、確認するも3人ともいたって平和。結論から言いますと、恐らく食あたりです、食中毒とも言いますが。
それから吐いて吐いて頭痛がおさまりません。1晩何とか明かして翌日のお昼に何とか復活!とはいえもうまもなくバリを出発する時間です・・・「いい思い出になったな」と自分に言い聞かせ、海外では極力魚貝類は避けるべしという教訓を胸に夕方の便で韓国のインチョンに向かって出発です。機内では、爽快に過ごすことができ、ぐっすり眠ることが出来ました。おそらく待ち時間が無かったためと思われます。

約6時間かけてインチョンに到着しましたが、ここはまだ外国。油断は禁物です。何せ言葉が通じないのですから。ここでの待ち時間は約5時間。その間、どの様にして過ごすか話し合った結果、近くのグランド・ハイアットホテルにカジノがあるらしい事を突き止め、とりあえず「遊ばない」事を条件に視察に行くことになりました。私はずっと前からカジノに興味を持っていましたし、大人の遊びとしてのカジノには可能性を感じていましたので、とにかく興味がありました。しかし、1ホールぶち抜いた程度で、特別にすごいとは思いませんでしたが、日本にもカジノが出来るようになればアジアからはかなり集客が見込めるかもしれないな、などと思いながら視察終了。あと3時間は空港に時間貸しのホテルがありましたので、少しでも寝たいと考えた一行は残りの時間をホテルの部屋で各自過ごすことにしました。
明日へ続く。



2006年11月08日

11月8日(水曜) バリへ

来年の図書館建築を胸に秘め(言っちゃいましたが)、我々は学校近隣の村を見て回ることになりました。小学校にはその村の村長さんの奥様がいらっしゃり、バイクで先導してくれることになりました。
村の中は・・・本当にテントとガレキだらけでした。
インドネシアの中でもこの村の家は、そのほとんどがレンガ作りになっていて地震に対して非常にもろい構造な上に、直下型の地震がきたのでひとたまりも無かったようです。壊れた家が修復不可能なので仮の家にとテントで生活しているのですが、なかなか支援が届かずに現在でもテント暮らしを余儀なくされています。テントテントと聞かされていて、もっと立派なテントかと思っていたのですが、本当にキャンプで使うようなテントで本当にビックリしました。そこで若干の復興支援を果たし、村長夫人とお別れしました。さぁ、再び30分ほど車で市街地に走ってジョグジャカルタの空港に到着です。今度はここから飛行機で1時間ほど飛んで、デンパサールの空港へ向かいます。デンパサールと言えば・・・そう、バリです!しかし念のため、遊びではなく航空機の中継の為に一応立ち寄るだけですから、念のため。
しかし、ここでまたトラブル発生です。デンパサール行きの航空機がいくら待っても到着しません。ガルーダ航空は比較的というか、他の航空会社に比べてそんなことは無いはずなのに・・・と現地のガイドさんに電話で言われ確認してもらいました。2時間遅れだそうです。理由は不明・・・。そんなことがこの国では通用するのか~!遅れた理由も説明なしに、機内で食べるであろうパンをもらったぐらいでは納得できませんでしたが、ここで騒いでもどうしょうもないのでおとなしく待ちましたよ、2時間。2時間後、やっとの思いで飛行機に乗り込み、あっという間の1時間でデンパサールに到着です。
そこでタラップを降りた瞬間、素晴らしい夕焼けが私たちを待っていたのです。いや~、何とも形容しがたいのですが、日本で見るそれとは違い、何と言うか、こう・・・大きいし赤みが強いのです。
あまり感動が伝わらないのが残念でなりませんが、本当に美しい夕焼けでした。そして、ホテルへ少し遅めのチェックインを済ませて、すぐに食事です。そしてここでまた私を悪夢が待ち受けていました・・・。明日へ続く。



2006年11月07日

11月7日(火曜) かがやく笑顔

市街地から30分、車は郊外へと進んでいきます。途中、国の施設である会計検査院であった場所を通りましたが、ものすごく大きな建物全体が45度傾いてしまっています。
地震の凄まじさをを感じます。しかも5人が亡くなり、1人は未だに見つかっていないそうです。
心からのご冥福をお祈りし、その場を後にしました。そしてきれいに舗装された道路がまもなく消え、未舗装の土を固めただけの道路の上を気がつけば走っていました。そしてようやく、今回の旅の目的である小学校に到着です。
小学校を詳しくご紹介していませんでしが、地名はバンテュール市バンウンハルジョー区のウィロチャンドラン小学校という学校。未だに積極的な政府からの支援物資が届いていない地域です。到着した瞬間、わっとこども達の歓声が聞こえました。その方向に目を移すと、何と炎天下の中、120人のこども達と先生方、地元の村長さんをはじめとする皆さん方が歓迎の歌を大合唱してくれているではありませんか!
こども達は何度も何度も手をたたき目をキラキラ輝かせ、多少不安な目で私たちを見ています。挨拶をということで、私が代表して挨拶をさせていただきました。以下がご挨拶。
「皆さん、日本という国を知っていますか?インドネシアからは飛行機に乗って6時間ほどの国です。私たちの国日本でも皆さんの国、インドネシアが震災被害にあっている事は知っています。皆インドネシアの人たちの事を心配しています。遠く離れた日本にいる私たちにも何か協力できることがあるのではないか、そう思い日本のお兄さんやお姉さん達が、募金活動を開始し、今日預かったお金を私たちが持ってきました。一日も早く、皆さんが安心してこの学校で昔のように勉強できる日が来ることを願っています。また私たちはこれからも、この小学校を訪れ、皆さんの為に力になれればと思っています。」

この頃にはずいぶんこども達も緊張が解け、好奇な視線から親しみのあるものへと変わっていた気がします。そして、一人ひとりと握手をし、もってきたノートや鉛筆などの文房具をプレゼントしました。そしてこども達との記念撮影の時には、みなじゃれてきて輝くような笑顔を振りまいてくれました。歓迎式も一段落下ところで、学校の現状について知るために学校内を見て回ります。見て回ると言っても、校舎はほとんど倒壊したかひび割れて、いつ倒れてもおかしくないというものを竹を使って支えているので、危険で近寄れません。図書館もあったようですが「ここにあった」という枠が残っているだけで、更地になっています。現在の教室は歓迎式典をしてくれた大きいユニセフが立ててくれた炎天下のテントか、新しく竹で編んだ大きなカゴのようなものです。

一通り見た後、一緒に行ったメンバー4人の中で誰とも無くこんな意識が芽生えていました。
「図書館を建て替えてあげたいよなぁ~」
「そうそう俺もそう考えよった!」
「じゃあ来年来て図書館作る?」
「1週間で出来るかなぁ・・・」などなど。
無謀にも我々は、来年この地に図書館を一週間以内で作ってしまおうという約束にも似た発言をしてしまっていたのです。現地の人は大喜び、今から楽しみにしてくれているようです。
「あ~ぁ、言ってしまった事は取り返しつかんぞ~。絶対行かんとな~」
と責任を感じています。ですので、また来年図書館建築特別チームを編成し、再びこの地を訪れる事になろうかと思います。皆さん、来年もお楽しみに!
まだまだ明日へ続く。



2006年11月06日

11月6日(月曜) ジョグジャカルタ市街地

朝5時に起床し、7時前の飛行機に乗りこみます。ジャカルタから目的地の小学校があるジョグジャカルタ到着まではおよそ1時間の予定です。無事に到着し、ここでAPU卒業生のアグン君と合流です。アグン君はこのためにわざわざ自分の住む遠くの場所から車で8時間かけて来てくれたのです。感謝です!
また現地のガイドさんもついていただき、とりあえずは小学校にもっていくお金を円からルピアに交換です。ここに来るまで交換がどのぐらいのレートなのか理解していませんでしたが、正直驚きました。1万円をルピアに交換すると74万ルピアです。つまり、「1:74」という計算になります。我々が持っていった募金15.7万円余りを交換すると1160万ルピアという、何だかスケールの大きな話になってしまいます。袋に入れ込むだけでも大変です。袋に「羽室台高校生徒会から愛をこめて」と手書きでメッセージを書き準備完了。
いよいよ出発です。
市街地を通っていてまず目で感じることは、「とにかくバイクが多い」こと。しかもほとんどが日本製。ホンダ、スズキ、ヤマハ・・・通り過ぎるバイクを見ながらあらためて日本ブランドの強さを感じました。あと肌で感じるのは「活気がある」ということ。本当に震災があったところとは思えない活気を感じます。しかし、市街地でも所々家やアパート、ビルなどが倒壊し、今なお復興できていないものが瓦礫となって残っています。これを見ると、復興途中なのだという事を実感します。さて小学校までは、市街地から車で30分ほどの距離にあります。

今でもほとんど政府や国際組織からの支援が行き届いてない場所です。しかし私たちの疲労や心配、その全てを吹き飛ばしてくれるこども達の美しい笑顔がそこにはあったのです!
明日へ続く。



2006年11月05日

11月5日(日曜) トホホ・・・

約6時間の長いフライトを終えて、夜中の12時30分過ぎ(日本時間です。ジャカルタとは時差1時間)にジャカルタの空港に到着しました。
夜中なのに暑い。とにかく暑い。
空港にはAPU卒業生、アグン君のお母さんがお迎えに来てくれる事になっています。しかし、青年会議所から一緒に参加してくれた方が何かしらのトラブルで入国できません!夜中12時過ぎから2時間以上もすったもんだしてようやく入国・・・。空港に隣接するホテルにチェックインしたのが夜中3時前です。そして起床時間は何と朝5時。つまり2時間しかホテルには滞在できないのです。トホホです・・・。次回に続く。



2006年11月04日

11月4日(土曜) いよいよ!

さぁ!今日からインドネシアです!3泊4日の行程の初日はどんなことが待ち受けているのか、今からドキドキです。忘れ物がないか最終のチェックを終えて、車に乗り込みます。車にてまずは福岡空港へと向かいます。福岡から午前10時発の韓国インチョン国際空港行きの航空機に乗り、韓国からあらためてインドネシアのジャカルタへと出発します。

さぁいよいよ福岡を出発し、旅の始まりです。インチョンへは約1時間30分で到着し、時間通りの順調な滑り出しです。しかしここからが本当に長かった・・・。何せ急なインドネシア行きだったもので、航空券の手配からホテルの手配からバタバタです。一番良いルートは、前日から関西国際空港に入り、直接ジャカルタに到着するルートです。しかし、我ら4人の都合がどうしても合わず面倒だけれども福岡からという話になったのです。さて話を元に戻しますが、午前11時30分には韓国に到着してしまいました。そして次のジャカルタへの出発時間は午後5時30分・・・。そうです、約6時間をこの空港で過ごさなければならないのです。あっちに行ってもこっちに行っても時間は一向に過ぎてくれません。みんなでトランプをしようという話も出ましたが結局はボツ。何度も食事をしたりスイーツを食べたりお茶を飲んだり・・・おかげでお腹はパンパン状態です。行く前からこれはないよなぁと思いながら、何とかかんとか時間をつぶし、やっとやっと搭乗案内が始まりました~。さらにここから6時間かけてジャカルタへのフライトです。
今日から再び日本に帰るまで、またその感想などを明日からのブログに載せていきますのでお楽しみに!



2006年11月03日

11月3日(金曜) 結婚式

今日は中学からの同級生の結婚式でした。場所は堀田にある芙蓉倶楽部。私は何十回も結婚式には出席していますが、ここでの式は始めてです。いや~、結婚式の施設もバッチリで素晴らしさに驚きました。まさに最近の結婚式という感じでしたね。一応新郎が気を遣ってくれて、私に乾杯の発声をということでしたので大変気が引けましたが音頭を取らせていただきました。乾杯の前には当然一言ご挨拶をしなければなりません。しかし、人生経験豊かな方なら「人生山あり、谷ありだ」などと言っても重みがあるのでしょうが、私がそんなこと言ってもサマになりませんよね。議員になってからこのような機会に恵まれて大変ありがたいことなのかもしれませんが、いつも「何を言おうか・・・」と少し考えてしまいます。今回のご挨拶には、最近私がよく思うことを勝手にしゃべらせていただきました。

それは「人は生きているのではない、生かされているのだ」ということです。特に我々若い年代の者は、最近話題の「公共心が無い」であるとか、自分勝手に生きているのだという考えが蔓延しているように思います。両親はもとよりご先祖様、また周りの方々のおかげで今日の自分があるのだと常に謙虚な気持ちを持つことが大切な事ではないのかなと、最近思えるようになりました。しかし、それを表に出すように努力をしていますが、なかなかこれが伝わりません。まぁそこの部分も謙虚に、前向きにということでしょうか。

話は戻りますが、新婦さんの勤め先のトップの方が、「自分の子供をお嫁に出すようで・・・」大泣きしていた姿には感動しました。さっきの話ではありませんが、新婦もまた素晴らしい方々に囲まれて幸せな人生を歩まれてこられた方であるとお見受けしました。親友にこのような素敵な方がついていてくれるということに大きな喜びを感じます。お二人とも、つきなみですが末永くお幸せに。



2006年11月02日

11月2日(木曜) 出発式

何度も何度も登場するインドネシア行きの話。明日が文化の日で学校も報道機関も休みということで、今日羽室台高校にて出発式を行いました。3回にわたる募金活動と同窓会が開学祭に出店して得た益金の合計17万円余りを生徒会から託されました。また急遽、ノートや鉛筆なども大量に託され現地の生徒達に直接手わたすことになりました。率直なところ、情報はAPUを卒業したアグン君という子から入ってきて、小学校にもアグン君が連れて行ってくれることになっているので現地に行って自分達の目で確かめてみるまではわからないというのが現実です。想像もつかない現実が目の前に待っているかもしれませんが、羽室の生徒達の代わりに精一杯気持ちの伝わる活動をしようとあらためて心に誓った出発式でありました。



2006年11月01日

11月1日(水曜) 司会

11月9日から3日間の日程で、商工会議所青年部の全国大会が大分・別府の両会場をメインに開催されます。およそ5000人の会員が全国各地から大集合します。9日は前泊者懇親会が200人規模で開催されますが、目立つ仕事をと先輩方が気を遣っていただいたかどうかはわかりませんが、司会を務めさせていただくことになりました。もう1人の司会はカボスタイムでおなじみの栗林さんです。おもてなしの心で精一杯務めてまいります!

その打ち合わせの会議が今日初めて開催されました。おそらく我々が生きているうちには2度と開催されない全国大会という一大イベントに、先輩方も気合入りまくりです。経済効果もいかほどのものになるかはわかりませんが、宿泊や食事、夜の街にて使うお金を合わせれば確実に「億」単位の経済効果になるはずです。別府を堪能していただき、リピーターとなって今度は家族旅行にでも来てくれたら嬉しいですよね。


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